続・ARASHI TIME

二宮さん・大宮溺愛の出戻りOL。思ったことを思ったときに徒然書いています。

嵐の新たなる船出に向けて - 気持ちの整理その1

どーも、ニナです。

明日は我が身、が本当にやってきてしまったなーーーー、、、、、全然実感なんて湧いてないよ。本当に。

 

 

嵐って、嵐だけは、永遠だと思っていて、そんなことはなくて二宮さんの言う通り「無限はない」のだと、頭を鈍器で殴られたような衝撃です。当たり前なんてものはこの世にはなくて、全て並々ならぬ努力のもとで成り立っていたんだって。「現状維持が一番難しい」っていつか言ってた気がする。気のせいかな。

 

 

 

2020年12月31日をもって嵐が活動休止する現実について、Twitterで既に思考をそのまま吐き出しまくっている状況ですが、改めて、自分の覚書としてまとまった文章に落とし込もうと思います。

 

 

 

何か仰々しいことがしたいわけでも、綺麗ごとを並べて無理やり前を向きたいわけではないです。本件に関して日々移り変わる自分の感情をちゃんと記して、いつか納得して彼らの決断を受け入れることができるその時まで、自分が何を想いどんな風に彼らと時代を歩んだのか残してみたくなりました。

 

 

 

こうして残すことで、自分の考えを整理することだってできるし、自分の気持ちの変化に自信を持てるような気が、今はしています。

 

 

 

と、言うのも。私は元来飽き性で、その時々で全力を尽くす対象が違っていました。Twitterを再開し、ブログを再度開設して気持ちを綴ることも人生で二度目です。つまり、またいつか離れる日が来ないと断言できないなと思う部分があります。だからこそちゃんと記して、この瞬間の情熱や気持ちを忘れなくないのです。

 

 

 

正直、今回の発表がなければ、私は自分の時間の使い方について考えを改めるつもりでいました。2017年冬に本格的にオタクを再開し嵐を中心に考えて過ごした1年間で、自分が何故2012年の夏頃からオタク最前線から身を引いたのか、思い出しました。一人の女性として限りある時間を過ごすにあたり、直面するライフステージが多くあると感じていました。様々なライフステージを考えた際に、その当時の熱量をずっと続けて嵐の背中を追いかけることはなかなかに難しく、また、中途半端にオタクを続けていては、周りにたくさんいるお友達の皆さんに申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。(今までの熱量を保てないとなると、会話にも温度差が生まれますからね。)

 

 

 

そのため私は、それまで嵐に費やしていた時間を学生生活に充て、時間が合えば見られるバラエティーやドラマの視聴とコンサート参戦、音源・映像の購入に、自然と活動範囲を狭めていきました。

 

 

 

ずっと全力で応援されてきたファンの皆さんには申し訳なくて、言葉にすることも大変烏滸がましい限りですが、それでもずっと節目節目に支えてくれたのは嵐の存在でした。だからこそ今こうしてブログを数年ぶりにしたためていたりするわけですが。

 

 

 

そんな経験があるから今感じていることは、大野さんの夏休みと共に、自分自身と向き合う時間になったらいいなぁということ。ずっと嵐と並走してきたからこそ生まれた葛藤を、少なくとも当時の私は感じていました。有り難いことに増えていくテレビ出演の回数、年間に発売されるシングルの数、毎月発行される雑誌の冊数。反比例するように自由が利かなくなっていく自分の時間、費やせる予算。ただただ供給されるコンテンツを受け止めるしかできない。(オタク的な視点で言えば、録画は溜まる一方でじっくり見られないし、編集も間に合わない。)ちゃんと楽しめているのか不安になりました。世間から求められるということはそういうことで、「有り難い悲鳴」としていました。自分が好きで選んだ道なのだから、都合よく文句言わずについて行こうと。

 

 

 

簡単に言うと、すんごい不器用だったんですよ。力の入れ具合が全然調整できなくて。様々なこととの両立が全然できなかった。私の周りにはちゃんと両立できている人がたくさんいるのがその証拠です。もしくは趣味として上手に昇華できていれば、そもそもそんな葛藤なんて生まれなかったのかもしれない。

 

 

 

話を戻すと、この人気がいつまで続くのか、収束する未来は来るのか、この生活をずっと続けることはできるのか、不安でした。例えば留学したいだとか他のことに熱中したいだとか仕事に没頭したいだとか結婚したいだとか(全くそんな予定はないけれど)、色々なターニングポイントがあった時に、嵐を理由にして諦めてしまうことや嵐を天秤に掛けてしまうことを恐れていました。それと同時に、嵐の活動が今より少なくなり落ち着いた時に、自分は何を糧にして生きていったらいいのだろうという怖さもありました。

 

 

 

つまり、楽しいのです。この生活は。嵐と生きていくということは毎日が楽しくて、嵐を通じて得られた人脈もあり、これがまた皆さん素敵な人ばかりで、時間とお金と労力の全てをかけてもお釣りが来る人生なのではと感じるのです。感じるし実際にそうだから、ふと冷静になった時に不安になったり、怖くなったりしました。「嵐オタとしての人生はぼろ儲けだけども、一人の人間としては?どうなの?」って。欲張りですよねーーー、、、、、分かっています。

 

 

 

そんな経緯もあって、嵐と共生するために向き合い方を考え直そうかなと思っていた矢先だったんです。

 

 

 

なんというか、皮肉ですよね。活動をゼロにして欲しかったわけじゃないのに。例えば仕事量を全体の半分とかにして、ゆるい嵐を自分のペースで追いかける、そんな人生もいいんじゃないかって思っただけだったのに。それに、嵐にも人生があると思っていました。全力で応援はできないかもしれないけど、いつか結婚だってするし、私たちだけのアイドルでずっといることは叶わないことだと。もしかしたらそれは、5×20がひと段落した頃なのかなぁ、、、と寂しいけれど、頭の片隅にありました。だから、「ああ、ついに…………」という気持ちと「やだやだやだやだやだ、無理です!!!!!」という気持ちが押し寄せてきていて複雑です。勝手で我が儘ですよね。

 

 

 

すばるくんの時に、「人数が減るくらいなら解散してほしい」と思っていました。私は7人の関ジャニから好きになったので、7人の関ジャニが永遠になって欲しいと思っていました。それは、想いを重ねてしまった嵐に関しても同じでした。でも、実際に我が身に降りかかってきて解散は無理だと実感してしまいました。どんな形でも5人が集まる姿が地上波に乗らないなんて、なんて仕打ちなんだろうかと。だから、活動休止という手があったのかって、こんな発表をされてもなお5人の嵐への愛と聡明さと色んなものを感じて惚れ直しています。

 

 

 

嵐が好きです。嵐のいない人生は考えられません。こんなに元気と勇気と癒しをくれる人たちはいません。嵐に縋れない人生が怖くて仕方がないです。嵐が導いてくれた繋がりを変わらず守っていけるか不安です。発表を聞いた時、さっきまで鳴っていたおなかの音は鳴り止み、脈が速くなり、頭が痛くて、震えが止まりませんでした。もう二度と、あんな怖い瞬間を迎えたくありません。

 

 

 

だから2年間、何度も何度も感情の浮き沈みを繰り返しながら、全力で嵐と向き合って、嵐がお休みしても大丈夫になりたいと思います。嵐が安心してお休みできるようにありたいです。そうしていつの日か、復活する日まで自分の人生を生きられるような人になっていたいと思います。完全に綺麗ごとだけど、そうやって同じ時間を過ごすことで、嵐との絆が一層太くなる気がしています。。。。。とはいえ、ふとした瞬間に泣くくらいは許して欲しい。(そして、この文章を書いている今はまだ飲み込みきれてませんので。こうなれたらいいなという理想像の話。)

 

 

 

色んな考えの人がいます。色んな速さの人がいます。「誰々さんはもう納得できているけど、自分はできてない」「自分は気持ちの整理ができたけど、誰々さんはまだみたい」そんなギャップがこれからどんどん生まれてくると思いますが、臆せず言葉にして共有するとちょっと楽になります。逆に、色々な人の言葉を読んで聞いて落ち着くこともあります。私はそんな風にして2020年12月31日まで歩んでいけたらいいなと思っています。

 

 

 

………まぁ、あと2年、まだ2年、なんとか2年、残されています。まだまだ仲良くしていただきたい方がたくさんいます。2021年というのも、一つの区切りだと思うことにしています。ファン同士の絆がブツンと切れるわけでもないです。(再び巡り合えた経験がある分、無駄に過信しているかもしれませんが。)何よりも、まだ、嵐はお休み期間に入っていません。これからも末永く、宜しくお願いします。

 

 

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。