続・ARASHI TIME

二宮さん・大宮溺愛の出戻りOL。思ったことを思ったときに徒然書いています。

「純白の中に薫る色気と狂気」を体現する人(CUT 2018JUNE)

どーも、ニナです。

 

皆さん、生きてらっしゃいますか?

私ですか?恐らくですが、生ける屍になっているはずです。

昨晩は、ブラックペアン→ベイスト→ニノさんを堪能する予定で、

既に死屍累々の匂いがぷんぷんしている中、何を考えたのかCUTを読んだ私。

 

 

控えめに言っても阿呆だよ、知ってる。

 

 

出戻りのオタクには刺激が強すぎて、もう立ち直れないかと思った……

 

そんなCUT、ちゃんと残そうと思います。

以下、存分にネタバレ含みますので閲覧注意です。

 

 

まず冒頭に、巻末に記されていた今回の企画のコンセプトについて触れたい。

タイトルにもお借りしました「純白の中に薫る色気と狂気」、素晴らしすぎるワードチョイスで鳥肌が立ちました。

二宮さんが演じる光と闇を表現するにあたって、生まれたコンセプトだそうです。

 

「真っ白なものは美しく、そしてほんの少しだけ恐ろしい」ですって。

「その僅かな微笑と美しくきらめく瞳を眺めてほんの少しでも”ゾクッ”としてもらえたら、この企画、大成功だ」ですって。

 

 

大大大成功ですよ(大声)

 

 

まさにその感覚を、表紙を見たファンはみんな感じていたんじゃなかろうか。私も例に漏れずそうだし。笑っているでも睨んでいるでもない、不思議な不思議な表情。それはゾクッとさせた要素だったんだなぁ……まんまと策略に嵌まっています。

 

では、本編。

インタビューページを開いた私の第一声(心の声)

 

 

これ以上、読み進められねぇ…………(絶望)

 

 

ってくらい美し麗しい純白二宮さんがいらっしゃって、ぶっちゃけ表紙より好き。手の形といい、視線といい、瞳の開き具合といい、ねぇ。閉じたいけど閉じれないけど閉じたい。しんどいから。凄く唐突だけど、こんなにも眉毛をいじらずに美しい人間ってこの世の中にいる?やっぱり、天界からやってきたんじゃない?って意識そらさないとやってられない。(早く進め)

 

言われてみれば本当に二宮和也と言う人は二面性のあるキャラクターを与えられることが多い人だと思う。二面性もインタビュー中で触れられた作品で言えば、性格面(プラチナデータ)もあればその境遇(流星の絆、青の炎、鉄コン)もあるし意外性(ブラックペアン、暗殺教室ここかな)も含まれる。多種多様な二面性を演じる中でリアリティーを追求しすぎたら演劇性がなくなり、エンターテインメントとするなら追求できるリアリティーは限られてくる。これを『普段から考えるところ』と言ってくれたことに感動した。

 

私の勝手なイメージかもしれないけど、あまり好んで自分の演技論をひけらかすことをしないと思っているし、求められても少し抑えた物言いをしてきた気がする。それが、ブラックペアンに絡めたインタビューでは割とそこらへんに触れることが増えた。

 

それは、ブラックペアンが彼にとって今までとは違った作品で、話さずには居られないからなんだろうか。

 

「どうにもならなくなった時に出てきて、対処して去る渡海。そういう役をいただけるようになったっていうのは、俺も大人になったんだなと思いました(笑)」

 

主役と言われていながら、本筋を回すのは自分ではなく他の演者。なりふり構わず躍動するキャラクターからの卒業を言い渡されたような作品。そんな渡海を演じるにあたって、何を考えているか何を大切にしているか、今は出来ること出来ないこと、こんなところまで考えていたのかって、感服する私がいます。というか、叩きのめされてフルボッコにされています。アッパーでK.O.からの腹パン食らってます。しんどくなってきます。何故でしょう。

 

『せめぎ合い』という言葉をよく使っています。リアリティーと作品のせめぎ合い。裏方を学びたかった人。バラエティーが好きな人。演技が好きな人。見る側も好きだし、作る側も好きな人。だから、どちらの視点を持っていて、どちらの視点も主張する。そのせめぎ合い。なのかなぁ……と深読みしています。

 

「こういう風に作りたい」「ここまで作り込みたい」もあれば、「これくらいのモノを見たい」「このくらいが見ていて気持ちイイ」両方あるのだろう。この人の中には一体、どれだけの視点があるのだろうか。ブラックホールに吸い込まれる。

 

ブラックペアンのインタビューですが、青の炎の話が秀逸。震える。そうか、そうだよな……となる。はぁ、溜息が止まりません。 

 

「揺らぎというか青さというか、芝居をしているのかしていないのか、しようとしてるけどできないのか、あの年代だからこそ成立しているいとんなものがやっぱりあった」

 

「自分がこの芸能界にお世話になりはじめた年齢、この作品をやった年齢、いろんなものが重なってあの役になった」

 

その瞬間でしかできないお芝居があった。その瞬間にしか演じられない役があった。その事実の素晴らしさと、もう二度と観られないという尊さと、様々な感情に胸が締め付けられる。この二宮さんのコメントは、凄くノスタルジーで黄昏時みたい。

それでも、与えられる役の本質は変わっていない。面白いなぁ、と思う。

 

このインタビューが尊い理由、自分なりに考えてみました。普段は隠す努力の部分をフラットに差し出してきたこと。

 

 

『俺が参考資料をいろいろ見た限りだと』 

 

 

この言葉の尊さ、伝わりますように。ちょうどブラックペアンの5話を見た後だからでしょうか。まさしく、ダーウィンの資料に細かく解釈を書き込んだように、きっとこの人は演じるにあたり必要な情報はかなり深く勉強している。それは、さっきのリアリティーと演劇性のバランスを図るためにも、彼には必要な工程なんじゃなかろうか。もしかして当たり前だから、わざわざ準備していることはあるとは言わない。何もやってないわけないんだから!

 

ごちゃごちゃと綴ったけれども、一番やばいのは、CUTのインタビューを読むとすべての作品を改めてじっくり観たいと思うことです。ビジュアル的にどうだったこうだったではなくて、今一度からっぽになって、『二宮和也』の演じた時代を感じながら、全身でざぶざぶ演技の波を浴びたい。 

 

もちろん無防備で挑むので、その後数日間は何も手につかないし、思考も働かないでしょう。この事実が一番やばいです。

 

 

以上。お粗末!