続・ARASHI TIME

二宮さん・大宮溺愛の出戻りOL。思ったことを思ったときに徒然書いています。

今更!『虹』と『それはやっぱり君でした』の相関関係について

こんばんは、ニナです。

「気分が乗ったら書く!」とすると、こんなにもおざなりになりものなんだ。びっくりです。

 

出戻ってからずっと語りたかった『虹』と『それはやっぱり君でした』の相関関係について、満を持して手を付けようと思います。

相関関係なんてものがあるかないかはさておき(ぽぷこんであんな演出しておいて、今更関係ありませんなんて言わせませんけどね)、一ファンとして独断と偏見で読み解きます!

 

 

ちなみに、2012年に一度まとめています。(自発的に羞恥心誘う作戦)

slo-2i20-ve2.jugem.jp

 

 

その時はちょうど「『虹』は大好きだった人を忘れるための旅を歌った曲」という発言を、二宮さんがどこかの雑誌で話した、というのがTwitterで流れてきまして。当時の私はそれが凄くショックで。何故なら『虹』は幸せの象徴みたいな曲だと思っていたからなんですよね。それが悲恋の曲だと思ったら悲しくて悲しくて、、、

 

的なことをつらつらと語っていますが、ちょっと待て。と

 

まず、雑誌のソースを明記しなさい!

こうして今、未来の私が困ってるぞ!!!

 

 

そして、

 

悲恋とは言ってないのでは!?!?

 

そうなんです。記憶とは恐ろしいもので、「『虹』はバッドエンド」と私の中で刷り込みされていて、当時のブログを読み返して頭の中が「???」となりました。

本当に「大好きだった人を忘れる旅を歌った曲」だったとしても、それは決して悲恋ではない。思い出を昇華して、今隣にいる人に愛情を伝える、幸せな歌のままなんじゃないの。と、今の私は思います。経験で物事の捉え方がどれほど変わるか、を実感している(笑)

 

そんなこんなで前置きはこれくらいにして、本題に移ります。

再三お伝えしますが、これはあくまで私個人の考察です。事実でも真実でも正解でもないです!逆に言えば、それぞれがそれぞれの感じ方をしていると思うので、そんな話もいつか聴いてみたいなぁと思います。

 

では!いざ!(むちゃくちゃ長いです。)

 

 

 

『虹』(2007年、アルバム「Time」収録)

 

目線は女性だと思っています。歌い方も心なしか柔らかく、女性を意識したような歌い方だな~。のちに出てきますが、歌詞の一節より奥さんだと思います。

 

「今日は私と君が名字を重ねた日。」

 

とある結婚記念日の夫婦の日常が想起されます。辺り一面に温かく優しい空気が漂っているような、そんなメロディーと歌い方。 傘と虹の描写から、この日は雨が降っていて。不思議と寒さを描写する表現はないことから、私は勝手に5~6月の初夏を思い出しました。寒くもなく暑くもなく、なんだか爽やかな風が吹いていそうな情景が浮かびます。

この歌詞の中で、いったいどの辺りが過去の回想か、と言われると私はどこにも回想はないと考えます。あくまで「思い出を昇華している女性」が主人公なだけで、その行動の詳細が逐一記されているというのはちょっと違うんじゃないか、と。この時点で、『それは~』を既に作り始めていた、もしくは構成は練られていたのでは!?って考えたら興奮しました(笑)この時点っていつだって話ですが。謎の雑誌ソースの話が出た時期はPopcorn発売の前なので、その時に話していたとしたら辻褄合う気がする。それよりも、『虹』を書いた時点でセットになっていて、いつか曲に起こそうと思っていたんだという説もなかなか浪漫ありません?

 

少し話が逸れましたが、「違う人と結ばれて、大好きだった人を忘れる旅」という言い方が悲観的なだけで、この曲は全体を通して、「今隣にいる旦那さんが愛おしくてたまらない。考えていると胸が締め付けられて泣きたくなってくるよ。」という気持ちが溢れていて、よく表現されていると思います。その点から考えるに、「忘れる」のではなく「思い出を美化=昇華」していく行動は、今の愛しい人と過ごす日常を享受する中で常に行われていて、そんなありきたりな毎日を歌った曲なのではないでしょうか。これって、一度は経験してそうなことじゃない?色んな人と出会いと別れを重ねていく中で生まれる感情を、こんな風に切り取って形にしてしまう。ああ、ぞわっと鳥肌。

 

さらに、この本人談を元に考えると、“きみ”が拗ねてしまったのは「前の彼の話をされたから」、「ありがとう」は「つい前の人の話を持ち出してしまう私と一緒になってくれて、許してくれてありがとう」が込められている、って解釈できそう。これもよくあるやつ。旦那さんと元彼の名前間違えるとか、違う人と行った場所なのに、ぽろっと口から零れたり(笑)

 

そんな日常を、「違う人と結ばれて、大好きだった人を忘れる旅」と称した(らしい)二宮さん、すごいな。その通りだけど、発言の与える印象と歌詞が表現する印象が正反対のように感じる。人はきっと、こんな風に様々な思い出を自分で昇華して向き合って、前に進んでいくんだろうなって気持ちになります。

 

どうだ、6年前の私。全く悲恋じゃないぞ!悲しむことはないぞ!なんなら、今まで以上に愛情が深くて優しくて素敵な恋に感じる曲だよ。

 

さあ、次にいきます。

 

『それはやっぱり君でした』(2012年、アルバム「Popcorn」収録)

 

こちらは男性目線ですね、「僕」と出てくるので。恐らく旦那さん目線で綴られています。歌詞で頻繁に『虹』の頃について言及しているので、『虹』の後日談のようです。季節は同じく初夏じゃないかなっと。「窓風に乗って聞こえた。」とあるので、夜に窓を開けて風を感じる季節は、少し熱くなるけど冷房を入れるほどではない初夏かな、と。

 

「影を重ねたあの場所のことや

同じ時を歩き繋いできたことや

そんな時を全部変えて」

 

『虹』で歌われたとある夫婦の日常、それが全て変わってしまったことが冒頭で示されます。何が変わってしまったのか。旦那さんの世界を全て変えてしまうこと、それはずっと隣に寄り添っていた愛しい人がいなくなってしまうことなのでは。とある結婚記念日から年月が経ち、妻が亡くなってしまったところから始まる、そんな歌に思えました。

 

残された旦那さんは一人で日々を過ごし、二人の大切な思い出を昇華して歌に乗せて届けられたら、、、と。そうしたら、逝ってしまった君を迎えに行ける、そんな気がしているんだね。順番が前後しますが、「簡単に」を多用しているのは、『虹』で照れて言えなかった「君が好き」に対しての後悔の念の表れだと思います。「君がいない今はこんなに簡単に言えてしまうのに、君がいたあの時になんで言ってあげられなかったのかな」って。ああ、もう既に胸が鷲掴みにされて苦しい、、、(涙)

以下、妻が亡くなったと推測できる歌詞の意訳です。

 

Aメロ終わりからサビにかけて、実際には見えていないし隣にもいないけど、まだ傍に居るような気がしているよって気持ちと、君がもうここに居ないことを理解しているからこそ辛い気持ちがリアルな葛藤として描かれています。後追い自殺をして逝ってしまうことはどうしてもできないし、するべきでもない。その証拠に、「まだまだ頑張れ」と君に応援されているように感じている。そこは空なのか、それとも部屋に飾っている君の写真なのか。「笑う」と書いているので、後者かなと思っています。

 

Bメロもまた切なさ倍増で、、、はぁ、、、最初に聴いた時、割と意味が分からなくて、どんな状況よ???でした。が、よくよく聴いてみれば、なるほどそういうことか、と。仏前もしくは上記の部屋に飾った君の写真の前を指しているのかな。お供え物として、君の好きだったものを供えるけど、もちろん減ることはなくて。慣れてきたとはいえやっぱり消費されることを望んでしまう。「きっと口に合わなかったんだ。次こそ上手に作るから、、、だから食べてくれよ」と、そんなところでしょうか。

 

2番サビ。君には見えて=僕は生きているから、僕には見えない=君は死んでしまったから。いつもは抑えられているこの事実に、ついお酒の勢いで「ずるい」とぼやいてしまった旦那さん。どんな気持ちだったの?ねぇ、二宮さん。亡くなっている設定はあくまで私の推測ですが、亡くなった人に対して嫉妬する、ってなかなか面白い感性だと思いました。「どうして、、、死んでしまったの」という悔恨がまずは湧きそうなものなのに。君には見えているなんてずるいよ、僕にも姿を見せてよ、って凄く鳥肌が立ちます。

 

また、1番サビでもそうでしたが、恋しい君とのナチュラルな会話。君のいない生活に慣れて、心の中での会話も頻繁に行われている様子が思い浮かびます。「歌」であったり「風」であったり、流れるものに想いや言葉を乗せる表現もまた風流。初夏のとある夜、家で晩酌をしながら夜風を浴びて、ふと君を思い出す、、、たまらない、涙が止まらない、、、なんでそんな情景が思い浮かんだの?何を想って書いたのかしら!!!

 

そして最後に、『虹』のオマージュ。『虹』では「この時間」であったのが、こちらでは「あの時間」となっています。これはやはり懐古設定によるものではないかな。今はもう、旦那さんは「この時間」を享受することはできません。何故なら、君がいないから。でも、『虹』の時点では君がその瞬間を切り取っているので、「この時間」となっているんですね。指示語が的確です(笑)

 

あとはもう、歌詞の通りです。

 

と、いった感じです!

結局のところ、『それはやっぱり〜』は『虹』の後日談、もしくは返歌なのではないかってことです。目線を変えて、時代を変えて、様々な思いが交差する、、、そんな曲。この二曲が揃って初めて、色々な解釈が成立するなんて、とんでもないことしでかしてくれたと思います(笑)しかも5年空けたぜ(笑)この5年がまた、二つの曲で描かれた物語をリアルなものに仕立て上げているんだから、本当にもう感服です、、、

 

さて、もう少しだけ気になる点を述べさせてください。

 

間奏について。『虹』と『それはやっぱり~』はそれぞれ多田信也さん(神!!!、と大知正紘さんと、作曲者が異なります。それであるにも関わらず、既知な音だなぁ~って思いませんでしたか?それが特に強いのが間奏だと思っています。これこそオマージュなんじゃないかしら。どんな工程で作曲がされたのか分かりませんが、音の運び方、リズムの取り方が似ています。ちなみに『虹』の場合はCD音源には入っていないので、DVDを参照してくださいね。

 

同じフレーズを繰り返して、最後にオクターブで高音から低音に向かって一気に弾きます。ここが圧巻。大好きなところ。実際の楽譜とは違うかもしれませんが、想定されるリズムはこんな感じ。

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リズムは若干違いますが、このリズムで同じ音階が繰り返されている点は同じです。厳密には音は違っていても、音の運びやリズムの取り方(章の構成とか)が同じだと、人は類似したものを想起するのかもしれない。

 

ちなみに、ぽぷこんで投影されていた「もしもあの時、君に言えてたら、君は」、の「君は」ですが、何が続くんだろう?ってずっと考えています。このあとに続く言葉によって、ここまで述べた「奥さん亡くなった説」は一気に崩れ去るので(笑)

 

この旦那さんの後悔として、愛情の表現の違いが原因で喧嘩をしてしまって、君が家を飛び出した挙句そのまま事故で亡くなってしまった、、、なーんて数多の小説で書かれていそうな設定であれば、非常に納得。腑に落ちます。あの投影された映像によって、さらに考察の幅が広がっている、本当に困ったもんだ(笑)

 

その他、『虹』の「きみ/君」表記については匙を投げました。追求しようと思いましたが、謎が謎を呼び迷宮入りしたのでお蔵入りです。私は二宮さんの気まぐれOR文字の並び(感じが並び過ぎ、とか平仮名ばっかり、とか)などではないかなって信じることにします(笑)

 

タイトルも気になるところですが、「虹より君は綺麗だ」と言っておきながら、『虹=それはやっぱり君でした』とはならないよなぁ、、、と、こちらも迷宮入り。空に逝ってしまったとすれば、イコールになるのか???分かりません。深く考えられてないかもしれません。その可能性を信じよう、、、(投げるな)

と、言うわけで、ここまで長々とお付き合いいただきました方、ありがとうございました。私はかねてから書きたくて吐き出したくて仕方なかったことを、ようやくまとめられてすっきりしております!

 

冒頭にも書きましたが、これはあくまで私の考察です。6年前の事件(笑)を仮説に読み解いたものです。なので、その他の情報は一切参考にしていません。というより本当に読んでいないので、もしかしたら「あの雑誌で言ってたよ!」とか「パンフで書いてあったよ!」などなどあるかもしれません。それはそれ、これはこれ!です!だって、どんなに情報をかき集めようと、それが真実である確証はないですもの、、、常に二宮さんに振り回された、あれじゃないこれじゃないって頭フル回転させていたいなぁ(笑)

 

そもそも、『虹』が世に出た頃はまだファンではなかったし、『それはやっぱり~』の頃は潜伏期間に突入していて、ギリギリ楽曲を拾っているような頃でした。それを今こうして触れて、培った経験則で推測してっていうのは、今だからできたことだなと思います。布石を打っておいてくれた5年前の自分に感謝です。

 

是非、色んな人の曲に対する想いを聴く機会が欲しいなぁ、という気持ちを記して終わります。

 

お粗末!