続・ARASHI TIME

二宮さん・大宮溺愛の出戻りOL。思ったことを思ったときに徒然書いています。

「究極の一枚」@MORE5月号/2018年

二宮和也

究極の一枚

~最初で最後の9カット~

 

はぁ、、、

なんかもう、ため息しか出ない。困った。

 

1カットにつきシャッター1回のみ。撮り直しはなし。

撮る側も撮られる側も全力投球1本勝負。

1枚1枚に今の二宮さんの100%が注ぎ込まれているのだと認識すると、全私が爆発しました。この気持ちをなんて言い表したらいいのか、こういう時語彙力がないなと感じる。

普段のグラビアも素敵な1枚は多いけれど、この9枚にざわつくのは、それこそ極限の状態で撮られているからなんだよね。失敗ができないから、その一瞬、刹那に100%を注入する。一筆一筆に魂を込めて絵を完成させていく画家さんみたいに。そういった類の芸術作品と同じなんじゃなかろうか。

 

ああ、そうか。芸術作品。

 

さらに、9枚の表情。全部違うの。纏う雰囲気も、全て。

これらを「楽しい、面白い」ってはしゃぎながら撮影したのかなって考えると、スイッチの切り替えが凄まじい。

「この写真を撮られた時、撮られる瞬間、この人は何を考え、何を思い、どんな気持ちでシャッターを迎え入れたのだろう」って9枚全てに思いを巡らしてみた。胸が苦しくて苦しくて、

 

全私が爆発した(再)

 

二宮さんは、「周りが二宮和也、および嵐を作ってくれている」と言う。確かに、時代の流れだったりその時推したい事柄、ファン層・量等によって見せ方を各メディア変えてくるだろう。でも、やっぱりこの人のポテンシャルの高さがなければ成り立たない。

察知する能力に凄まじく長けているのだと思う。「今」自分が求められていることを正確に汲み取る。さらに、キャッチした情報を再現する力も非常に高いんじゃないかな。

だって、イメージを体現するって難しくない?素人だから、何とも言えませんが、「こんなポーズして、こんな表情して」ってイメージしても、それを神経に正確に伝達して筋肉を動かして、さぁいざ写真を見てみましょうって言ったら、「え、、、なにこれ?」みたいな写真ってありませんか。(きっと君だけだよ)

こんなことをぐるぐると考えていたら、写真を直視できなくなりました(爆)だって、込められているモノが重すぎて。二宮さんの100%が9枚もある。そんなの、そんなのって、、、はぁあああああ!!!!って悶えながら顔を覆っています。

 

さて、とりあえず34歳には見えないので恐ろしいです。

 

Itでは、若さに触れていますね。未練はないがそれも才能だと。

ファンから言わせれば、あなたはその有限の才能が全く終わる気配がないのですよ!!!!かと言って、老けた役ができないわけでもない。変幻自在。

灰色(白色?)パーカー×リュック×デニム。「理想の大学生」ってやつを急に体現しないで欲しい。心臓に悪い。表情もなんだかあどけない。それも指示なの?

個人的には、曽根さんとの合作がたまりません。手が、手が、これ以上ないくらいに魅力的に収められていて、トキメキが止まらない。丸っこいかわいらしい印象が強いですが、本当は、とっても、とーーーーっても男らしい手なのだと。それが全面に現れていて、フォーカスするところ分かってる~~!うわーーーんん!!と、涙物です。

極めつけは、「嵐を撮るなら、、、」と自分で話し出したにもかかわらず、”なんか言ってて恥ずかしくなった(笑)”と言って照れる二宮さん。

 

嵐への愛が大洪水かよ。

大好きかよ。大好きだね。

可愛い(号泣)

 

こういうところあるよ、二宮さん。それ、素、でしょ?本気の発言でしょ?気付いてしまって、やめたんだよね。なんでよ、隠さないでよ!もったいない!と言う気持ちでいっぱいのオタクです。

 

ふぅ、、、まだまだ全然、この胸のざわつきを飲み込め切れていないので、また書くかもしれないです。Itの言葉も全然落とし込めてません。何回も何回も反芻して、冷静に悶えたいと思います。

 

では、また。